中西ふじよヒストリー

FUJIYO’S HISTORY

誕生〜幼稚園時代

  • 昭和35年4月8日 和久家(旧姓)の二女として誕生。
  • 両親も心配するほど、わんぱくな女の子へ。
  • 3歳より幼稚園に入学。そのころからリーダーシップを発揮。
    今思えば「お山の大将」だったかな…と。
ヒストリー:幼少期

 

 

小学生〜高校時代

  • とにかく身体を動かすことが大好きな活発な子へと成長。ソフトボールをはじめスポーツは何でも挑戦した。
  • この頃から水泳が好きになり、夏だけの水泳部に選手として登録され、大会に出場。その後、大学まで水泳を続けることになる。
  • 現在でいう特別支援クラスの児童の友達と関わるのが好きで、担任からも面倒を見るうに…と言われていた。その頃から特別視する意識は本人にはなく自分が好きで楽しくて好んで関わっていた。
  • リーダーシップをとることが好きで、色々な役員にも積極的に立候補。
  • 正義感が強く、とにかく弱い者いじめが大嫌い。
  • 高校進学後も水泳部に入部。部長となり部活動に明け暮れる日々を過ごす。
ヒストリー:小学校時代

 

 

大学時代

  • 昭和53年4月 中京大学体育学部に進学
  • 小学生の頃からの夢だった、保健体育教師になることを目指す。
  • 大好きな水泳ももちろん継続し水泳部に入部。しかし一年の途中、ひざを壊しマネージャーに。挫折を味わうが、天性のポジティブさで「マネージャーとしてでも 水泳や仲間たちと関われること」に新たな喜びを見出すことができた。マネージャーとしての役割に目覚め、水泳一色の大学生活。
  • 水泳は大学4年のインカレまで続けることとなった。
ヒストリー:大学時代

 

教育実習

  • 志していた教師を目指すべく大学4年のとき教員採用試験を受験。合格。
  • 教育実習での経験でさらに教師になることを力強く目指すようになった。
  • この頃出会った実習先の生徒達のことは今でも鮮明に覚えている。

 

※プライバシー保護のため一部写真にぼかしを入れています。

ヒストリー:大学時代教育実習

 

教員生活スタート

  • 昭和58年4月より豊田市立朝日丘中学校に赴任。この後28年間続く教員生活のスタート。
  • 目指していた保健体育教師となる。
ヒストリー:教員時代

 

短期留学

  • 夏休みを利用して。アメリカへ短期留学(ホームステイ)
  • 世界の広さを知り、また日本を出てはじめて日本のことが理解することができたとても貴重な経験ができた。
  • 生徒達に「世界は広い。今いる場所だけが居場所じゃない。」そう伝えていくことの大切さを学んだ。
ヒストリー:短期留学

 

喜びと葛藤の教員生活

  • 教員になって十年を過ぎた頃には「鬼の和久」と呼ばれるほど、生徒から恐れられる存在になる。
  • 豊田市立松平中学校に赴任してからは、生徒指導も受け持ち多感な中学生に体当たりで関わっていった。自分よりも体格の大きい男子生徒にも本気でぶつかっていった。内心はドキドキしていたかも?しれないけど、「心は通じる!気持ちは負けない!」と信じていたからかどんな生徒にも真っすぐ関わっていけた。
  • 「怒るから怖い先生」ではなく「怒らせてはいけないと思える怖い先生だった。」と卒業した生徒から言われたことがある。
  • いじめ、不登校、非行など問題を抱える生徒にも数多く出会う。彼らの存在が今の私の礎になっている。
  • その後赴任した、豊田市立逢妻中学校で学年主任、生徒指導主事として特別支援学級の生徒たちと今まで以上に深く関わることとなる。
  • 特別支援学級の生徒と保護者との関わりの中で教員としての閉塞感を知る。
    児相・市役所・警察・教育委員会の無責任な対応に泣いてきた生徒達。ハンディキャップを持っている子供たちの高校卒業後の進路が無く未来を描くことが出来ない保護者の涙。弱者福祉が遅れていることを知り葛藤の日々を過ごす。
ヒストリー:教員時代2

退職の決意

  • 教員になって28年。出会ってきた生徒や保護者との関わりの中、さらに多くの人々の力になりたいと感じ退職を決意する。
  • 豊田市立猿投中学校に赴任後一年…出会ってたった一年での別れはとても辛いものだったが、自身が挑戦することは「必ず豊田市の子どもたちの笑顔を守ることにつながる」と信じ、教師としてやりきれなかった部分を立場を変えて”必ず変えてみせる!”と、これまで出会った生徒達の眼差しを想い誓う。

 

※プライバシー保護のため一部写真にぼかしを入れています。

ヒストリー:教員時代2

 

新たなステージへ

  • 平成23年4月 行政に加わることで、市民の声を届け、市民のための政治活動を行いたいという想いから豊田市議会議員選立候補を決意。
  • 同時にブログ「中西ふじよからのメッセージ」をスタート。現在も日々の想いを綴っている。
  • 準備期間2週間だったにも関わらず1645票もの票をいただくことができましたが、落選。支えて下さった方々の姿を見ていると、落ち込むどころかすでに”4年後”の今を見据えていた。皆様の想いに今なお感謝。
  • 色々な方からご相談をいただいていた延長線で相談活動をスタート。
  • 市民団体「With☆とよたっ子」を立ち上げ、ハンディキャプを持ったお子さんやご家族のサポートを開始。寺子屋のような温かな居場所を目指し「とよたっ子塾」も同時にスタート。
  • 「こどもクリニック・パパ」にてスクールアドバイザーとして不登校やいじめ、様々な悩みを抱えたお子様の心のケアを開始。
  • 悩みや問題を抱えたお子さんやご家族に、教師とは別の立場からでもお役に立てることを実感し、教育と福祉の充実の重要性を日々噛み締める。
  • 地域のことをもっと知るため、梅坪台地域会議委員、梅坪台コミュニティ会議委員、上原地区委員会などでお手伝いをスタート。地域の方との交流が増え、また地域はこのようにして支えられていることを実感する。
ヒストリー:With☆とよたっ子ヒストリー:とよたっ子塾

様々な活動を通して

  • 平成24年10月   Office☆Fujiyo」を立ち上げ活動を広げる。
  • 同年12月 書籍「中西ふじよの生徒目線」出版する。教員時代の経験と子供たちへの未来を願い様々な想いを綴りました。
  • 相談件数は月に80件を越え、いじめ、不登校、虐待、夫婦関係、対教師不信、学校不信など様々な問題に寄り添わせていただく。
  • 講演会活動もスタート。いじめや不登校などの学校・教育問題に対しての教育講演会や、企業向けのセミナーも開催。
ヒストリー:講演会

 

  • NPO法人「まほうのらんぷ」にてハンディキャップを持った方々に向けた体操教室の講師と務める。様々な地域の事業所と交流を深め、街全体で福祉を見つめるようになる。
  • ハンディキャップをもったお子さんやご家族の悩みを解決するには片側だけの視線ではいけないと感じ、平成25年一般社団法人 日本福祉協議機構の顧問となり、運営する障がい者支援施設「季楽ショートステイ・日中一時支援事業所 春風」を豊田市にも開設できるよう働きかける。同年8月豊田市下市場にて開設。その後も利用者側と運営側の両立場からさらに充実した支援活動行う。
ヒストリー:体操教室

  • 豊田市の福祉を願い活動を深める「LOVE TOYOTA」や「上田若菜さん」のコンサート活動のお手伝いやなどのボランティア活動にも積極的に参加。
  • 「自分で動いて、目で見て、感じて、考え、行動する」常に目線を下げ、地域を見守る。
  • 4年間、豊田市をじっくり見つめて想ったこと、感じたことを胸に、今決意新たに次のステージへ向けて邁進中。

 

ヒストリー:ボランティア活動

 

 

届けたい声がある:わたしの志へ